ふたりはプリキュアSS『その、翌日』

 冬の朝。
 美墨なぎさは、いつもと同じように母親にたたき起こされた。上半身を起こして寝ぼけ眼をこすっていると、母親の声が付け加えられる。
「月曜日なんだから、もっとしゃっきりしなさい」
「仕方がないでしょ、昨日ラクロスの試合で疲れたんだから」
 そう答えると、母親は一瞬表情を硬くし、逃げ出すように部屋から出ていこうとする。
「早く着替えてご飯食べなさい」
「ふぁーい」
 生返事をして、いつも通りメガネをかけた。視界がはっきりすると、頭もだんだんとはっきりしてきた。
メップル、おはよう」
 机の上に置いたコミューンに向けて、声をかける。しかし返事はない。
メップル?」
 コミューンを開けてみるが、何も変化はない。無機質の冷たさが手のひらに伝わってくる。
「ちょっと、冗談でしょ? ふざけてないで返事をしてよ!」
 声を大きくして呼びかけるが、それには変化はない。母親がノックもなしにドアを開けた。あわてて母親に向き直り、コミューンを後ろ手に隠す。
「なぎさ。朝からおもちゃで遊んでないで、支度しなさい」
「遊んでなんかいない」
「言い訳はいいから。急ぎなさい」
「……はーい」
 返事をして、思った。この事態は、ほのかやひかりに相談するしかないだろう。
 
 なぜか、静かな、というより沈鬱な雰囲気の食卓で朝食を片付けて、急いで学校に向かった。だが、体が思ったように動かない。すぐに息切れした。
(昨日の試合の疲れなのかな……)
 走っては休み、休んでは走りだし、結果、歩くよりも少しはマシ程度の速度で通学路を急ぐ。
 学校までの道のり半ばというところで、道行く人の中にベローネ学院の制服が増え始めた。華やかなその光景に少し安堵し、いつも一緒にいる少女の姿を探す。
(いた)
 細い体に艶やかで長い黒髪の少女。いつも傍にいる親友の名前を、なぎさは呼んだ。
「ほのか!」
 少女──雪城ほのかは振り返り、そして形の良い眉をひそめた。
「……美墨さん、おはよう」
 それだけを言って、ほのかは学校に向かって歩き始める。
「ちょ、何?」
 いつもは名前で呼び合う仲なのに、今の態度は何だろう。昨日は試合の最中にザケンナーが現れたが撃退した。試合が再開されてから後は声を交わすことはなかったが、そのことで怒っているのだろうか。駆け寄って、横に並んだ。
「ほのか、何怒っているの? あたし何かした?」
「怒ってません。ただ、あなたに名前で呼ばれるのが意外だっただけです」
 歩調をあわせるつもりだが、ほのかの歩みは速かった。──いや、あたしがいつもより遅いのか。ほのかに合わせていると、足が辛くなってきた。
「意外? いつもそうじゃない」
 そう言い返すと、ほのかはこちらをちらりと見て、黙った。ほのかの態度も問いただしたいが、今はそれよりも大事なことがある。メップルのことだ。
「それよりもほのか、メップルが──え?」
 見れば、学校のときはいつもカバンにくくりつけているコミューンが、今日はない。
「ミップルはどうしたの?」
「みっ、ぷる?」
「これよ、これ」
 自分のカバンの、コミューンを指差す。ほのかは大袈裟にため息をついた。
「美墨さん、いい加減、学校におもちゃを持ってくるのはやめたら? 校則以前に、恥ずかしいでしょう?」
「おもちゃって、これは違うでしょ。ほのかのは、どうしたの?」
「私は持ってない。以前美墨さんが貸してくれたのは、きちんと返したわよ」
 と、ほのかは睨んできた。なぎさはそれ以上追及できず、口をつぐんで歩みを戻した。二人の距離は段々と離れていった。
 
 いつもの教室の筈だったが、教室の空気はいつもと違っていた。いや、なぎさが教室に入ると同時に空気が重くなったのだが、当のなぎさにそれを知る由もない。
「おはよう。あのさ、何かあった?」
「別に」
 志穂の返事は素っ気ない。ちょっとムッと来たが、つとめて明るく話を切り出す。
「昨日の試合、楽しかったね」
「楽しい、だって? あれが?」
 いきなり、莉奈が声を荒らげた。なぎさは理由が分からず、きょとんとする。
「なぎさは試合に出られて良かったかもしんないけれどね、惨敗したのは、誰がどう見てもなぎさのせいでしょうが!」
「惨敗? 昨日の試合は一点差で勝ったじゃない。あたしが最後にシュート決めて」
「もしもしもしもしもしもーし」
 志穂が、「中身入ってますかー」と言いながらなぎさの頭をノックする。
「ちょっと、ふざけるのはやめてよ!」
 叫ぶと、二人はふん、と鼻で笑って自分たちの席についた。なぎさは訳が分からず、沈黙するしかなかった。
 
 朝のホームルームが終わると同時に、なぎさは教室を出た。何かがおかしい。その『何か』の正体を確かめなければならない。まずは、昨日の試合のこと。
 廊下を走っていると、向こう側から教頭が歩いてくるのが見えた。
「こら君、廊下は走らない」
「教頭先生!」
 それでも走り、直前で止まる。
「廊下は走らない。分かったかね」
「すみません。それで、ちょっと訊きたいのですが」
「何だね」
「昨日、ラクロスの公式試合がありましたが」
「ああ。私も応援に行った」
 よかった。これで事実が分かる。
「結果、どうだったんですか」
「勝ったのは御高倶だった」
 つまり負けたのはベローネということだ。おかしい。記憶と違っている。
「結果を求めるだけがスポーツではないが──部員たちは悔しかっただろう」
 教頭の言葉が終わる前に、なぎさは駆け出していた。後ろから「廊下は走らない」と注意する声がしたが、なぎさはそれを知覚しなかった。
 
 一日は苦痛だった。何かの冗談か悪戯かと思ったが、放課後まで、自分からなぎさに声をかけてくるクラスメイトは一人もいなかった。『いつも』ならば誰彼となく話しかけてくるはずなのだが。試合に負けた──なぎさの記憶では勝っている──せいなのだろうか。仮にそうだとしても、ほのかの態度は理解できなかった。
 意を決して、ほのかに声をかけた。
「ほのか。これから、付き合って欲しいんだけれど」
「美墨さん……」
 断られるか、と思ったが、ほのかは頷いた。
「いいわ。気がすむまで、つきあってあげる」
 
 学校を出て、二人で歩く。ほのかの歩きは早かった。なぎさは急ぎ足になる。いつもは自然に並んで歩いていたはずなのだが。
「それで、どこに行くの?」
「アカネさんのところ。今日の学校、何かおかしい。でもアカネさんならいつもどおりだと思うから」
「アカネさん?」
「ほら、いつも行ってた、公園のタコヤキ屋さん」
「公園……ああ、あれ」
 覚えていてくれた。と喜んだのも束の間。
「公園の屋台ね。夏に食中毒出した、あれ。それ以来いないはずだけれど、戻ってきてたの?」
「食中毒?」
「新聞にも載ったし、学校でも噂になったはずだけれど──ああ、美墨さんなら聞いていないかも」
 そんな馬鹿な。先週だってその前だって、みんなでタコヤキを食べた記憶がある。その記憶ですら、間違いだというのだろうか。
 
 冬の公園は寂しかった。いつもあるはずの、アカネさんの店が消えていた。
「新聞によると、今年の夏、ここでソフトクリームを食べた人が複数、食中毒で病院に運ばれたの。立ち入り検査のあと、店長が警察の取調べを受けて、それ以来、店は出てないわ。噂によれば店長さんはこの町を出ていったということだけれど、事実は公にされていないわ」
 そう言って、ほのかは公園のベンチに腰をおろした。なぎさもその横に座る。
「そんな、他人事みたいに。ほのかだって毎週ここに来てたでしょ? 何度も一緒に来たよね」
「私、そのお店には行ったことはないわ。公園だからお店があるのは見かけているけれど。それよりもまず、その呼び方なんだけれど」
 不快さを隠そうともせず、ほのかは言う。
「名前を呼び合うほどの仲だったかしら、あなたと私」
「なっ──」
 絶句。ほのかは黙ったまま、なぎさを見つめた。なぎさの返事を待っているようだった。
「だって、ふたりはプリキュアで──」
 ようやくそれだけを喉の奥から搾り出した。ほのかは、それで得心いったようだった。
「まだあの遊びのこと引きずっているのね」
「遊び? 遊びなんかじゃない。プリキュアの使命が──」
「確かそんな設定だったわね。たかがごっこ遊びで」
 だから違う、と言おうとしたが、その前にほのかが告げた。
「今日の美墨さん、どうも記憶が混乱しているみたい。なら、始めからきちんと説明するわ。黙って聞いてね」
「う、うん」
 そしてほのかは語りだした。
 
 二人が出会ったのは、一年前、中学二年で同じクラスになったとき。成績優秀で、それゆえに少し周囲から隔意をもたれていた雪城ほのか。そして、根暗で誰にも必要以上に相手にされていない美墨なぎさ。浮いているという意味ではある意味共通していたほのかに、ある日、なぎさは声をかけた。一緒に遊ぼうと。
 『闇の力のしもべたち』からこの世を守る変身ヒロイン。それになりきる遊びだった。変身のための小道具までほのかに貸して、何度か遊んだ。
 季節が進むにつれてクラスに溶け込んでいったほのかとは対照的に、なぎさは二人でのなりきりごっこに傾倒してクラスから孤立していった。その結果、二人の距離は離れていった。それでもその遊びを続けようとしたなぎさに、ほのかは絶縁状として、借りていた変身小道具のおもちゃを返した。以来、ふたりはクラスメイト以上のなにものでもない関係であった。
「今日の美墨さん、妙だったわ。ラクロスの試合のことでも」
「あ、そうだ。それだよ。あたしの記憶だと昨日の試合には勝っているはずなんだけれど」
「私は応援には行っていないから、聞いた話になるけれど。美墨さん、三年までずっと補欠で試合には出たことが無かったから、最後の公式戦には出して欲しいってキャプテンの高清水さんに頼んで、それで選手として出してもらえたんだけれど、試合は惨敗。ベローネは一点もとれなかったって。高清水さんは美墨さんが邪魔したせいだと言っていたわ。見ていない私には本当か分からないけれど、少なくともラクロス部の人たちにとって楽しい話ではないでしょうね」
「そんな……」
 それが本当だとすると、今朝の志穂と莉奈の態度は理解できる。惨敗の原因をつくったなぎさが朗らかに話しかけてくれば、腹も立つだろう。
「でも、なんで、あたし、記憶がおかしくなっているんだろ。ラクロスのことも、アカネさんのことも、ほのか──雪城さんのことも」
「人間は大きなストレスを受けると、それに耐えるために『なかったことにする』ことがあるみたい。いまの美墨さんはそういった状態じゃないかと思うわ」
「ストレスって、何?」
「さあ、私には」
 そう言ってほのかは、視線をなぎさから外す。
 二人の間から会話が途切れて、数刻。
「寒くなってきたわね」
「うん」
「もう、いいかしら」
「うん」
「私、行くね」
 うん。
 そしていつの間にか、なぎさは一人で公園に残されていた。
 
 帰宅して、部屋にこもる。ドアを閉じていても、キッチンで父親と母親が口論しているのがわかる。酔って呂律の回らない父親の弁明。それを咎める母親の金切り声。そういえば。父親が仕事を失ってから一年になるのか。それ以来毎日のように繰り返されているこのケンカ。
 制服のままベッドに倒れこむ。何だか、何もかも面倒で憂鬱だ。段々と目蓋が下りてくる。
 ポン、と気の抜けた音がした。カバンにつけたコミューンが謎生物に変わっていた。あはは、幻覚だ。
「なぎさー。おながが空いたメポ」
 あははは。謎生物が喋っている。こいつに名前あった気がするんだけれど、思い出せない。
「どうしたメポ。具合悪いメポ?」
 あはははは。謎生物がおでこに手(?)をあてている。ぶっちゃけありえない。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
「な、なぎさー、しっかりするメポ!」
 遠くから聞こえる両親の口論。耳元での謎生物の切迫した声。誰のものか知れない哄笑。
 それらの音を子守唄に、意識は途切れようとしていく。
 その先には、あたしがプリキュアになる世界が────────────
 
(終わり)