モノづくりの夢、宇宙へ

東京国際フォーラムという場所で、『ベンチャーフェアJAPAN 2005』というイベントが開催されていて。
その中で予定されている講演に、表題のものがあり。

テレビ広告で一度は見たかもしれないが、「町工場が人工衛星を打ち上げる」「まいど1号」のアレに出てくるおっちゃんである。青木豊彦さん、株式会社アオキ代表取締役にして東大阪宇宙開発協同組合理事長である。まあ、株式会社といいつつ従業員は30名以下、いわゆる中小企業である。
この会社そのものは青木さんで二代目であり、いわゆるベンチャー企業と呼べるものではないが、なぜこんなアイディアが出てきたのか、その背景と目指すものを語ってくれた。だいぶ脱線しながら。

この不況下、東大阪の中小企業数は確実に減少している。数字をあげれば4年前に1万あった企業が、現在は8000程度となっている。
不況そのものは過去のオイルショックの際に経験している。それでも生き残ってきた中小企業が、なぜ現在の不況を乗り切れないのか。
それは、現場から若い人間が消えたから、と青木さんは語る。社長や職人の後継ぎがいないんじゃ仕方ない、商売畳むか、と降参していく企業が少なくないという。そうして消えてしまった製造技術は、取り戻すことが困難である。
「何とかしたい」
そういう相談をもちかけられた青木さんは、東大阪の中小企業をまわる。決して、技術力は低くない。アオキはボーイング社の認定工場だし、そうとは知らずにロケットに使う部品を製造しているところもあった。ならば。
東大阪の中小企業でロケット打ち上げてみよう
そう考えた。

「青木さん、それは無理です」
大阪の大学の、宇宙工学の教授がそう言った。
「どこにそんなお金あるんですか」
技術的には不可能ではない。しかし、夢と情熱だけではロケットは上がらない。
「でも、人工衛星なら出来ます」
「よっしゃ、それでいこ」
そうして、町工場が人工衛星を打ち上げるというプランが立ち上がる。

しかし、それからが難しかった。お金。すべてはそこに還元される。
それでも青木さんはくじけなかった。現場に若い人を呼び戻すには、実物を見せてやるのが一番だ。だから、衛星は何があっても打ち上げる必要があった。

種子島

青木さんはNASDA(当時)に、H2ロケット打ち上げの現場に招待された。打ち上げを見学するのにVIP席を確保してもらった青木さんだが、とてもじゃないがこんな立派なところでは見られないと辞退する。そうして打ち上げの現場を視察する。
発射場の地下には200人からなるエンジニアが詰めており、不測の事態に備えている。まさに縁の下の力持ち。打ち上げが成功しても、彼らは地下でバンザイをする。彼らこそあのVIP席に相応しいだろうと青木さんは本音を洩らす。
打ち上げ当日、NASDA職員の自宅の庭でH2ロケットが雲を突き抜け、大空に消えていった光景を見て、青木さんは涙をこぼす。その涙の訳は本人にしかわからないだろうが、おそらく地下でバンザイをしているエンジニアたちの姿、そしてH2ロケットに自分らの作った衛星が載る姿を見ていたことは、疑いない。

この種子島視察の件は関西ローカルのニュースに取り上げられ、少しずつ認知度が広がっていく。
若い人が、集まってきた。インターネットで知り、メールでコンタクトを取ってきた。そうして、次第に話題になり、ついには公共広告(AC)で全国に紹介され(無料だといって青木さんは笑顔を見せていた。そのあたりは商売人の顔つきだった)、自分ですら知るに至った。

その後、国からの助成金を受けられることとなり、衛星製作は進む。そして青木さんは、衛星ビジネスを考える。衛星による雷予知。今は地上で予知しようとしているが、宇宙からならばより精度の高い予知が可能になるという。
雷の予知にどんな利点があるのか。
現在、損保会社が年間雷被害で支払っている金額が8000億円。
「衛星ビジネスで8000億の儲けだ」と公言したら、宇宙飛行士の毛利衛さんに「8000億を救うといいなさい」と窘められたそうだが。
衛星を打ち上げるという夢で人を集め、そしてビジネスに結びつけ、成功させる。まさしくベンチャーといえる。政府が余計な口出しさえしなければ、実現する未来であると思う。

脱線した話はいろいろあるが、その中で面白かったのを一つ。
若い人が「自分は東大阪に住んでいる」と誇れるようになった、と言うようになったと、青木さんは語る。自分は関西の事情など知らないが、東大阪とは下請け工場の集まった汚い町というイメージで、そこに住んでいることがステータスシンボルにならなかった。それが、ここ数年──衛星の話が出てから──変わってきた。その変化が嬉しいと、青木さんは語った。

個人的感想

やっぱ製造現場って面白いよなあ、と再確認し、不覚にも涙してしまった。関西人だからか、それとも現場の人間だからか。心に届く話し方だった。
そして宇宙という場所に特別な何かを感じるのは、子供や専門家の特権ではなく、どこにでもいる町工場のおっちゃんだってその一人なのだと、そう思い知らされた。
とどのつまり、有意義な一日であった。