だから何が初恋なのか

塔に対する好奇心同然の憧れ。そして、いつも傍にいる同級生に対する憧れ。彼らはそれを手にしようと行動する。
夢を見ているときが一番幸せだと、よく言う。彼らは飛行機を作っている過程、つまりは夢をみているとき、とても輝いていた。だから、サユリが去ったあと、モチベーションを失い現実へと戻っていった。
そうして今度は、心の底からサユリを救いたいと願って、飛行機を完成させようとする。それは過程を楽しむ作業ではなく、完成させて飛ばなくてはならない。理由なんてない、誰にも偽ることの出来ない自らの心が発する言葉に従って行動する。
その結果、憧れの全てを失うことを分かっていながら。


中学時代のいろいろな憧れを初恋とすると、それを諦めた時点で失恋したことになる。そして、それを分かった上でもう一度塔に向かう。
それはいわば、自分の初恋について他人に語るような行為だろう。
それは普通では語るのも恥ずかしい青臭いことだと思う。けれども、正解かどうかも分からないまま、彼らはふたたび行動する。そのことが、なんだろう、自分を偽っているのを分かって日々を生きている人間にとって、ものすごく魅力的に受け取れたのだ。


実際、初恋物語という視点で作品を見直すと、それが明示的にあるいは暗喩としてあらゆる部分に盛り込まれているのが分かる。
そのことに気づけたことが、新海誠が投げてきたメッセージのボールを何とか受け取れたことが、自分にとってはとても嬉しいことである。
だから自分もそれに応えて、こういう文を書いた次第である。